日本で生まれたブラジル人の子の国籍

国籍には出生地主義と血統主義という考え方がある。出生地主義は国内で生まれた人に国籍を与えるという考え方で、血統主義は自国民の子に国籍を与えるという考え方である。ブラジルはいわゆる出生地主義を取っている。したがってブラジルで生まれた人は原則としてブラジル国籍を取得する。1988年憲法は外国で生まれたブラジル人については補充的に血統主義を取っている。その規定の文言は1994年と2007年に改正されている。

Art. 12. São brasileiros:
第12条
I – natos:
一号 生来のブラジル人
※※※中略※※※
c) os nascidos no estrangeiro, de pai brasileiro ou de mãe brasileira, desde que sejam registrados em repartição brasileira competente, ou venham a residir na República Federativa do Brasil antes da maioridade e, alcançada esta, optem, em qualquer tempo, pela nacionalidade brasileira;
c) ブラジル人を父又は母として外国で生まれた者は権限あるブラジルの官公署に登録し又は成人前にブラジル連邦共和国に居住するに至って、成人に達して任意の時点でブラジル国籍を選択した場合。
c) os nascidos no estrangeiro, de pai brasileiro ou mãe brasileira, desde que venham a residir na República Federativa do Brasil e optem, em qualquer tempo, pela nacionalidade brasileira; (Redação dada pela Emenda Constitucional de Revisão nº 3, de 1994)
c) ブラジル人を父又は母として外国で生まれた者はブラジル連邦共和国に居住するに至って任意の時点でブラジル国籍を選択した場合。(1994年憲法改正第3号による改正)
c) os nascidos no estrangeiro de pai brasileiro ou de mãe brasileira, desde que sejam registrados em repartição brasileira competente ou venham a residir na República Federativa do Brasil e optem, em qualquer tempo, depois de atingida a maioridade, pela nacionalidade brasileira; (Redação dada pela Emenda Constitucional nº 54, de 2007)
c) ブラジル人を父又は母として外国で生まれた者は権限あるブラジルの官公署に登録し又はブラジル連邦共和国に居住するに至って成人に達した後任意の時点でブラジル国籍を選択した場合。(2007年憲法改正第54号による改正)

上記のように現行の規定はブラジルへの居住が国籍取得の二次的要件となっている。ブラジルへの居住を要件とする規定は帝政時代の憲法及び1891年憲法にも存在した。1934年憲法及び1937年憲法にはこういった規定はなく、1967年憲法で再び採用されて今に至る。

ただし、現行の規定の居住要件はオプションにすぎずブラジル国籍の取得には親子関係があれば十分である。「官公署への登録」をしていないブラジル人や、1994年以降2007年以前に生まれてブラジルで暮らしたことのない者は無国籍者かという議論がある。この点について、ブラジル人の親から外国で生まれた子は生来のブラジル人であるが、事後にブラジルに居住することでその外形を形成しなければならないというのが現在の議論の到達点である。したがって、登録もブラジルへの居住もしていないブラジル人の子もブラジル人で、ブラジルのパスポートが発行される。

1993年に日本で生まれ15歳のときにブラジルに来たある人から聞いた話によると、国籍は20歳になったら選べばいいと言われていたものの、実際にブラジルに移住して登記所に行ってみたら国籍を選ぶ手続が存在しなかったそうだ。そのため出生証明書の国籍欄は空欄になっている。その人の知人にも同じ状況の人がいて、そのままでは婚姻できないから出生証明書を書き換えるための裁判手続をしているそうだ。いかにもブラジルらしいエピソードだが、上記の条文改正との関係はよくわからない。本人は1994年に生まれていたらそんなことなかったのにというようなことを言っていたが、条文からすると1994年以降2007年までは官公署への届出という選択肢がないため出生証明書は皆空欄になってしまいそうである。2007年改正の経緯を調べてみると、当時1994年改正によってスイス、ポルトガル、日本のような血統主義の国で1994年以降に生まれた多くのブラジル子弟が無国籍者となっていることが問題となっていた(Folha de S.Paulo, ”Lei deixa 200 mil filhos de brasileiros no exterior sem pátria”, 2007)。この問題に対処するためブラジル外務省は子どもが18歳になるまでは出生証明書とパスポートを発行する取り扱いをしていた。むしろ1994年から2007年までの間こそ国籍空白の期間だったのだ。したがって、上のケースはなんらかの手続上の不備によって引き起こされたものなのかもしれない。

さて、日本の国籍法第11条2項は外国の法令に基づいて外国籍を選択したときは日本国籍を失うとしている。

(国籍の喪失)
第一一条 日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。
2 外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択したときは、日本の国籍を失う。

出生時に官公署への登録すなわち在日ブラジル領事館への届出をしている場合は問題がないが、二重国籍者の子がブラジルに移住してブラジル国籍を選択した場合は日本国籍を喪失する可能性がある。ブラジル憲法の規定するoptemは選択という意味ではあるが前述の通り明確な選択手続がないこともあって、これを日本の国籍法上の「選択」として扱うことができるか否かについては議論の余地がある。この点については日本側からブラジル側に問い合わせが行われたこともあるものの回答が要領を得なかったようだ。結局現在の日本側の解釈は、ブラジルでの議論の到達点を踏まえ、ブラジル憲法の選択は潜在的なブラジル国籍を「確認」しているに過ぎず日本の国籍法上の選択には当たらないというもののようだ。したがって、ブラジル国籍を選択しても理論的には日本国籍は喪失しない。しかし、日本国の旅券申請の際に本人からブラジル国籍を選択したと申告がなされた場合に日本国籍を喪失したものとして処理がなされたケースも存在するようで、この解釈がはっきりと固まっているとも言えない。日本で二重国籍者の子として生まれた者については慎重な対応が必要である。

Yasuyuki Nagai
Advogado japonês em Nagoya

刑事第一審州裁判所訪問

昨年の話になるが、2人の検察官に案内してもらってバハフンダの刑事裁判所を見学させてもらった。

午前中は勾留質問だった。勾留質問の部屋は弁論準備室のような小さな部屋で、裁判官と公選弁護士と検察官が座っていて、午前中には前日の深夜までに逮捕された人が連れて来られるとのことだった。共犯者はカップルみたいに腕を組んだ状態で手錠されているので動きにくそうだ。被疑者が部屋の前まで来ると、弁護士が部屋を出て廊下で被疑者とゴニョゴニョ打ち合わせをしてから、手続きがはじまる。まずは裁判官が被疑者に質問して、それから検察官と弁護士に何か質問がないかを聞く。大抵は何もない。それから、検察官と弁護士が座ったままモニョモニョ意見を言って、勾留するかどうかが決まる。半分程度が勾留になるようで、今日もちょうど半分が勾留されていた。どうやら勾留するつもりのない時に限って、裁判官は「あなたは前に2回も盗みで捕まって、また今回なんだから、勾留してくださいって言ってるみたいなものだよね。もう私としても勾留せざるを得ませんよ」みたいに脅すので、刑務所に行きたくない被疑者は怖がって泣いてしまう。拘置所と刑務所は理論的には別の場所だけれども、現実的には同じ場所のようなのだ。混みすぎてて別の施設にすることができないらしい。勾留をしない場合は定期的な裁判所への出頭や、夜間の外出禁止などの条件を付けていて、その条件は刑事手続が終わるまで継続する。勾留された場合は原則として60日以内に手続がなされることになっていて、勾留されていない場合も3ヶ月ほどで手続が終わるみたいな話だった。

その後、検察官用の食堂で食事をした。検察官の組合で運営しているそうで、ドリンクと食べ放題、デザートに食後のコーヒーまでついて無料である。かなり美味しかったが、検察官によれば「この食堂にはキッチンがなくて、外から運んできてるからイマイチだ」ということだった。

午後には大法廷の陪審裁判を見に行った。陪審裁判の法廷はしっかり傍聴席の設置された大きな部屋だった。正面の壇上に裁判官。同じく壇上の裁判官の右手に検察官。左手に書記官が座っている。また、検察官の右手斜め前には陪審員のボックスがあって、7名の陪審員が座っていて、陪審員と向き合うようにして書記官の左手斜め前に被告人、その隣には弁護人が座っていて、弁護人の前にはテーブルがある。裁判官、検察官、弁護人はそれぞれデザインが違う法服を着ていた。大法廷に入った時、弁護人は座ったままテーブルの上に設置されたマイクを使って弁論していたけど、段々とエキサイトしてきて法廷の中を歩きながら演説を続け、やがて陪審員のボックスの前で弁論していた。ときおり高ぶった弁護人が被告人の前に行って被告人に話しかけるので、被告人がついついそれに答えてしまうことがあって、裁判官が注意をしたところ、弁護人が自分で話しかけたくせに口にチャックの仕草をして「喋っちゃダメだ」と言っていたのが可笑しかった。弁護人の弁論に不満がある時は、検察官は控えめながら弁護人に直接「それは違う」みたいなことを言ったりしていて、時折激しい言い合いが始まることもあった。弁護人は延々と話し続けていたけれど、さらに検察官が反論し、本日中に評議も判決もされることになっているらしい。陪審員は手続きが終わるまで裁判所にカンズメなので、夜半まで手続きを続けるみたいだった。

弁論の途中で大法廷を離れて、小法廷の手続きを見に行った。金曜日だから事件が少ないみたいだった。小法廷は傍聴席もなく、ブラジルの民事の法廷とほぼ同じサイズの小さな部屋だ。手続きはまず裁判官、検察官、弁護人が3人でマジックミラーの部屋に行って、マジックミラーの前を被告人とダミーの人たちが通るのを見て、証人予定者が被告人を見分けられるか確認するところから始まる。一般の証人は被告人が在廷しない状態で証言し、被告人は別室でカメラで証言を確認する。警察官は被告人が在廷の状態で証言する。弁護側証人も同様のようだ。尋問は裁判官がまず聞いて、検察官と弁護人に質問はないか確認する。ほぼ勾留質問と同じ流れだった。自白事件でも情状証人はなし(これは確認してないので、たまたまかもしれない)。2件めに見た事件は共犯の否認事件だったけど、3時間ほどで、7、8人の証人の尋問と、2人の被告人の被告人質問を終えてしまった。その段階ですでに7時くらいだったけど、今日中に判決までやってしまうということだった。2人の共犯者のうち1人は私選弁護人を付けているようで、2人組の弁護人が熱心に質問をしていた。私選弁護人は口頭で弁論していて、裁判所は証言と同じように弁論を録画していた。ツッコミたくなる場面もけっこうあったけど、日本だと3、4か月かかりそうな手続きが、3時間ちょっとで終わるのを見て、身柄事件の処理はこうじゃないとダメだよなと思った。

Yasuyuki Nagai
Advogado japonês em Nagoya