ノン・ルフールマン原則(送還禁止原則)に関する難民条約第33条は次のように定めている。
第33条【追放及び送還の禁止】
1 締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見のためにその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは送還してはならない。
2 締約国にいる難民であって、当該締約国の安全にとって危険であると認めるに足りる相当な理由がある者または特に重大な犯罪について有罪の判決が確定し当該締約国の社会にとって危険な存在となった者は、1の規定による利益の享受を要求することができない。
難民条約のほか、拷問等禁止条約と強制失踪条約もノン・ルフールマン原則についての規定を置いている。拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約第3条は次のように定めている。
第3条
1 締約国は、いずれの者をも、その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない。
2 権限のある当局は、1の根拠の有無を決定するに当たり、すべての関連する事情(該当する場合には、関係する国における一貫した形態の重大な、明らかな又は大規模な人権侵害の存在を含む。)を考慮する。
また、強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約第16条は次のように定めている。
第16条
1 締約国は、ある者が強制失踪の対象とされるおそれがあると信ずるに足りる実質的な理由がある他の国へ当該者を追放し、若しくは送還し、又は当該者について犯罪人引渡しを行ってはならない。
2 権限のある当局は、1の根拠の有無を決定するに当たり、すべての関連する事情(該当する場合には、重大、明らか若しくは大規模な人権侵害又は国際人道法の著しい違反についての一貫した傾向が関係する国において存在することを含む。)を考慮する。
明示的な規定になっていないものの、自由権規約6条および7条もノン・ルフールマン原則についての規定である(条約機関の一般的意見31パラグラフ12)。
第六条
1 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。
2 死刑を廃止していない国においては、死刑は、犯罪が行われた時に効力を有しており、かつ、この規約の規定及び集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に抵触しない法律により、最も重大な犯罪についてのみ科することができる。この刑罰は、権限のある裁判所が言い渡した確定判決によってのみ執行することができる。
3 生命の剥奪が集団殺害犯罪を構成する場合には、この条のいかなる想定も、この規約の締約国が集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に基づいて負う義務を方法のいかんを問わず免れることを許すものではないと了解する。
4 死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑はすべての場合に与えることができる。
5 死刑は、十八歳未満の者が行った犯罪について科してはならず、また、妊娠中の女子に対して執行してはならない。
6 この条のいかなる規定も、この規約の締約国により死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために援用されてはならない。
第七条 何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない。特に、何人も、その自由な同意なしに医学的又は科学的実験を受けない。
入管法は自由権規約を除く上記国際条約を順守するために退去強制の送還先に関する次の規定を置いている。
(送還先)
第53条 退去強制を受ける者は、その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるものとする。
2 前項の国に送還することができないときは、本人の希望により、左に掲げる国のいずれかに送還されるものとする。
一 本邦に入国する直前に居住していた国
二 本邦に入国する前に居住していたことのある国
三 本邦に向けて船舶等に乗つた港の属する国
四 出生地の属する国
五 出生時にその出生地の属していた国
六 その他の国
3 前二項の国には、次に掲げる国を含まないものとする。
一 難民条約第33条第1項に規定する領域の属する国(法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除く。)
二 拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約第3条第1項に規定する国
三 強制失踪そうからのすべての者の保護に関する国際条約第16条第1項に規定する国
また、現在の入管法はこの第53条3項に加えて次のような規定を置いている。
第61条の2の6第3項 第61条の2第1項の申請(注:難民認定申請)をした在留資格未取得外国人で、第61条の2の4第1項の許可(注:仮滞在許可)を受けていないもの又は当該許可に係る仮滞在期間が経過することとなつたもの(同条第5項第1号から第3号まで及び第5号に該当するものを除く。)について、第五章に規定する退去強制の手続を行う場合には、同条第5項第1号から第3号までに掲げるいずれかの事由に該当することとなるまでの間(注:難民認定手続が終了するまでの間)は、第52条第3項の規定による送還(同項ただし書の規定による引渡し及び第59条の規定による送還を含む。)を停止するものとする。
ちょっとわかりにくい規定であるが、要するに難民認定申請中の者に対しては幅広く送還停止効が生じる。これに対し、現在国会に提出されている改正法案では難民申請中の者に対する送還停止効に次の例外規定が創設される。
第61条の2の9第4項 前項の規定(注:改正前第61条の2の6第3項と同様の規定)は、同項の在留資格未取得外国人が次の各号のいずれかに該当するときは、適用しない。
一 第61条の2第1項又は第2項の申請前に当該在留資格未取得外国人が本邦にある間に二度にわたりこれらの申請を行い、いずれの申請についても第61条の2の4第5項第1号又は第2号のいずれかに該当することとなつたことがある者(第61条の2第1項又は第2項の申請に際し、難民の認定又は補完的保護対象者の認定を行うべき相当の理由がある資料を提出した者を除く。)
二 無期若しくは三年以上の懲役若しくは禁錮に処せられた者(刑の全部の執行猶予の言渡しを受けた者又は刑の一部の執行猶予の言渡しを受けた者を除く。)又は第24条第3号の2、第3号の3若しくは第4号オからカまでのいずれかに該当する者若しくはこれらのいずれかに該当すると疑うに足りる相当の理由がある者
第1号の規定は3回目以降の申請者の送還停止効の排除を規定する。そのターゲットになるのは主にクルド難民である。諸外国で多くが難民認定を受けているトルコのクルド人は日本では難民認定を受けることができない。日本はこれまでトルコ出身者をひとりも難民認定していない(本記事執筆後の2022年7月28日にトルコ国籍のクルド人がはじめて難民認定を受けた。2022年8月9日付朝日新聞デジタル「トルコ国籍のクルド人、初めての難民認定 「私以外の人にも希望に」)。UNHCRの2018年データによると、カナダは1661件のトルコ出身者の難民認定申請を処理し1485人を難民と認定(認定率89.4%)、米国は674件の申請を処理し502人を難民と認定(認定率74.5%)、英国は934件を処理し472人を難民を認定(認定率50.50%)などであるところ、日本は1010件を処理して難民と認定した者はゼロである(平野雄吾著「ルポ 入管――絶望の外国人収容施設」(筑摩書房、2020年)、kindle2739-2755/3605)。日本で多くのクルド人が難民認定申請するのは、日本への入国が容易だからである。日本とトルコの間には査免協定が結ばれ、トルコのパスポート保有者はビザなしで日本に入国できる。査免協定が締結されている理由は日本とトルコが友好国であるからであるが、同じ理由でクルド人は日本で難民認定を受けることができない。トルコはイラン・イラク戦争の際にバクダッドに取り残された日本国民を自国民よりも優先して救出したほどの親日国で(秋月達郎「海の翼 トルコ軍艦エルトゥールル号救難秘録」(KADOKAWA、2011年))、日本側もトルコに対して多くの外交的配慮を行なっている。そのひとつのあらわれがクルド人に対する難民不認定である。難民認定は事実の確認であって、裁量行為でないから、本来外交的配慮を働かせる余地はない。しかし、法務省の研修教材には次のような記載がある。
同じような客観的条件を具備する外国人AおよびBがあり、双方から難民認定の申請があった場合に、Aは我が国にとって友好的な国の国民であり、Bは非友好国の国民であるとすれば、我が国としては、Bの難民認定は比較的自由に行えるとしても、Aの難民認定にはやや慎重にならざるを得ないということがありえよう。こうした場合の現実的な対応としては、Aについては難民の要件に該当する事実を具備するとは認められないとして認定は拒否、Bについてはそうした事実があると認めて難民認定を行う、といった処理の仕方になってあらわれる可能性が否定できないように思われる。こう考えてみれば、難民の要件に該当する事実を具備すると認められるか否かは、それほど単純な事実のあてはめ行為というわけではなく、若干微妙な要素を伴った問題のようである。こうした問題点をふまえた上で、法務大臣の難民認定という行為は事実のあてはめ行為であって裁量行為ではない、との立場を把握しておくことが必要である。
法務総合研究所「研修教材 出入国管理及び難民認定法III」(法務総合研究所、1983年)、28頁
この明らかに矛盾した歪んだ判断準則のため、本来は条約難民に該当するのに、日本政府の立場からは条約難民に該当しないと考えられている難民申請者が多数存在する。帰国すれば命の危険があるかれらは難民申請を繰り返して在留を続けざるをえない。こうしたことから、日本のクルド人には難民申請を繰り返して在留を続けている者が多い。強制送還停止効は本来は条約難民に該当するのに、日本政府の立場からは条約難民に該当しないと考えられているクルド人たちのセーフティネットとして機能している。世界中で難民認定されているかれらを1人も認定しない我が国において、強制送還停止効の例外規定を創設し、難民申請を繰り返す者を送還すれば、真の難民を送還するという重大な人権侵害が生じる。
我が国の難民認定率は諸外国に比べて非常に低く、クルド人に限らず条約上の難民として認定されるべき者が正しく認定されていない。まずは外交的な友好関係と難民認定の判断を切り離し、諸外国に比べて難民認定率が非常に低いという現状を改めなければならない。
第2号の規定はテロに関与する疑いがある者や日本で3年以上の懲役・禁固刑に処せられた者について、1回目の難民申請の判断の前の時点で送還を可能とする。この規定は前述の難民条約33条2項が「締約国の安全にとって危険であると認めるに足りる相当な理由がある者または特に重大な犯罪について有罪の判決が確定し当該締約国の社会にとって危険な存在となった者」について、33条1項のノンルフールマン原則による利益の享受を要求することができないと定めていることを根拠とする。
この点について、UNHCRは難民条約33条2項はすでに難民として認定された者に対して適用されることを意図した規定であると指摘している(2021年4月9日付入管法改正案に関するUNHCRの見解 一部サマリー(2022年2月24日))。難民該当性の判断をしないうちから、難民申請者を送還して手続を打ち切ることは許されない。
さらに、UNHCRのハンドブックによれば、難民条約33条2項の「重大な」犯罪とは、極刑を科され得るような犯罪又は罰し得べき非常に重大な行為でなければならない(『難民認定基準ハンドブック』パラグラフ155)。法案第61条の2の9第4項第2号に該当する多くの者は難民条約33条2項の例外要件を満たす可能性が低い。
入管法53条3項の規定や、法案第61条の2の9第4項第1号括弧書きの規定には、適切な審査を行うための制度的担保がなく、庇護すべき者を送還してしまう危険を防止できない。したがって、このような法改正はすべきではない。
Yasuyuki Nagai
Advogado japonês em Nagoya