最近クルド人に対する攻撃的な報道が多く出ている。昨(2024)年11月24日付産経新聞に「〈独自〉川口クルド人「出稼ぎ」と断定 入管が20年前現地調査 日弁連問題視で「封印」」と題する報道があった。記事には
報告書は「わが国で難民申請した者の出身地が特定の集落に集中している」「いずれも出稼ぎ村であることが判明。村民から日本語で『また日本で働きたい。どうすればよいか』と相談あり。出稼ぎにより、近隣に比べて高級な住宅に居住する者あり」などと記されていたという。
ところが報告書が訴訟資料として法廷へ提出されると、クルド人側の弁護団が問題視。入管側が難民申請者の氏名をトルコ当局へ伝え、現地の家族を訪問していたことなどを記者会見して非難した。当時のメディアも「法務省が不手際」「迫害の恐れ」などと批判的に報じたが、報告書の内容自体には触れなかった。
とある。
同年12月16日には「「日本の家ちっちゃい」「すごい稼げる」クルド人出稼ぎ報告書、トルコ現地の証言生々しく」と題する続報があった。浜田聡参議院議員が報告書を入手して、公表したとのことである。
探すのに苦労したが、浜田議員の公設秘書の方のXに報告書をアップロードしたGoogleドライブのリンクが置かれていた。2004(平成16)年7月付報告書を読むと冒頭に次のように書かれている。
我が国に難民認定制度が発足した昭和57年以降、トルコ国籍を有する者からの難民認定申請者数は483人に上り、これは国籍別申請者数の第1位を占めている(平成15年末現在)。特に平成13年には123件(同年の申請件数中第1位)、平成14年には52件(同第1位)、平成15年には77件(同第2位)というように、トルコ国籍を有する者からの難民認定申請件数は近年急増しているが、本年も5月末現在で既に79件の申請を受けており、今後も更に増加することが見込まれている。
これらトルコ国籍を有する難民認定申請者はいずれもいわゆるクルド人と称するものであり、その多くはクルド人であるがゆえにトルコ政府(特に治安関係機関である警察やジャンダルマ)による迫害の危険にさらされている旨主張している。
これに対し、当局は、これまでトルコ国籍を有する者について難民と認めたことはなく、いずれの申請に対しても難民不認定処分を行っているが、近時、こうした処分の取消しを求め、国を被告とした行政訴訟が多数提起され、さらに裁判所が法務大臣による難民不認定処分を取り消す旨の判決を下す例が散見されるようになった(平成16年4月15日名古屋地裁判決、同月20日東京地裁判決)。
これら判決に共通しているのは、トルコ政府による人権保障改善の努力が十分ではないと評価するとともに、原告(難民認定申請者)が提出した証拠の真偽について、当局が関係機関を通じて行った調査結果の信用性を疑問視していることである。例えば、平成16年4月15日名古屋地裁判決は、「警察官による超法規的な人権侵害事件については、無罪率が高く、有罪となっても量刑が軽く、治安組織において人権尊重の姿勢が根付いているとは認めがたい」旨述べると共に、原告が迫害の証拠として提出した逮捕状について、偽造と判明した旨の報告書を当局が証拠提出したにもかかわらず、「調査内容の詳細が判明しない以上、調査結果の妥当性を検証することができないから、偽造であると断定することにもちゅうちょせざるを得ない」としている。
そこで、トルコ政府による最近の人権保障改善状況を実地に調査するとともに、直接トルコ政府関係機関に対して公文書の真偽確認を行う必要がある。
また、我が国で難民認定申請に及んだ者の出身地が特定の集落に集中しており、しかもその集落はいずれもいわゆるPKKが活発に活動している地域からは離れた農村部であること、実際、難民認定申請を取り下げて帰国する者等から詳細に事情聴取を行った結果、出稼ぎ目的で来日し、在留を許可される手段として難民認定制度を利用した旨自認していることなどからすれば、原告(難民認定申請者)の多くが出稼ぎ目的で来日していることが推測され、その出身地域を視察して生活実態を明らかにする必要がある。
そして、これら調査結果について、その調査過程も含めて報告書とし、これを証拠として裁判所に提出することが事実に基づいた認定を求める上で必要不可欠であることから、今回の出張調査を実施することとしたものである。
なお、以上述べた調査の趣旨については、今回の調査に先立ち、あらかじめトルコ政府関係諸機関に対して告知するとともに、個別に訪問する都度口頭で説明し、いずれも理解の得られているところである。
報告書に出てくる名古屋地判2004(平成16)年4月15日平成14年(行ウ)第49号は裁判所のHPに掲載されている。
判決で認定された事実によれば、原告は1997年1月30日に来日し、非正規滞在となって、1997年10月3日に1度目の難民認定申請を行った。この申請は当時の法61条の2第2項所定の帰還を経過してなされたもので、かつ、同項ただし書きの規定を適用すべき事情がないとの理由で、1998年10月27日に不認定となって、同年12月17日に通知された。原告は同日不認定処分に対する異議の申出をした。この異議の申出に対し、1999年12月17日に理由なし裁決がなされ、2000年1月6日に告知された。
原告は2000年2月18日に帰国したクルド人が殺害されたことを知って恐怖感を持ったとの理由を付加して2度目の難民認定申請を行った。この申請は2001年10月2日に不認定となって、同年11月7日に通知された。原告は同年11月9日に2度目の不認定処分に対する異議の申出をした。この異議の申出に対し、2002年5月31日に理由なし裁決がなされ、同年6月14日に告知された。
1999年当時の入管法61条の2第2項は「前項の申請(注:難民認定申請)は、その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日)から60日以内に行わなければならない。ただし、やむを得ない事情があるときは、この限りでない」と定めていた。悪名高い60日ルールである。この規定は日本の難民認定制度が創設された1982年1月1日から法改正によって消滅した2005年5月15日まで存在し、門前払いによって難民不認定の山を築いた。本件の1回目申請は60日ルールで門前払いとなった。そのため、2回目申請では「帰国したクルド人が殺害されたことを知って恐怖感を持った」との後発事由を付加し、60日ルールを回避している。
原告は2回目の難民認定申請に対する2001年10月2日付難民不認定処分の取消を求めた。原告の難民該当性について、裁判所は次のように判示した(34枚目および35枚目)。
(1)一般に、国家は、自らを弱体化させるような動きに対し、軍事、治安組織を可能な限り動員してこれを阻止しようとする本質を有するというべきであり、このような国家の自衛行為自体を直ちに難民条約上の迫害に当たると判断するのは適切ではなく、とりわけ実情を熟知しているとはいい難い外部者としては、慎重な態度が要請されるというべきである。しかしながら、歴史的に形成されてきた民主主義や人権保障の重要性が国際間で広く認識されるようになり、難民条約もかかる認識を前提として締約されていると考えられる以上、その理念を大きく損なうことが明らかな手段、方法による人権侵害行為については、もはや国家の自衛権の発動として肯認できる範囲を超えているというほかなく、かかる当事国から逃れてきた外国人については、その具体的状況を検討した上で、迫害から逃れた難民に当たると認定されることもやむを得ないというべきである。ちなみに、政府自体は、そのような人権侵害行為を容認しているわけではないとしても、政府組織に属する一部の人々が、国の法令によって確立された基準を尊重せず、かかる行為を推進している場合に、これを阻止する効果的な措置を講じていないときは、難民条約にいう迫害の存在を肯定するのが相当である(ハンドブック65参照)。
これを本件について見るに、前記2及び3の認定・判断を総合すれば、原告は、トルコ国内においてPKKを支援する活動を行い、本邦に入国してからもクルド人の置かれた状況の改善を訴えるデモ等へ参加しているところ、これらの行為は、反テロリズム法などによって,取締りの対象とされていることが認められるから、原告は、同法4条(刑法169条)ないし8条に違反するとの容疑で逮捕、訴追され、普通犯罪と比較して重い処罰を受ける可能性があるばかりか、その過程において、法律の定める刑事手続によらない虐待、暴行,拷問を受けるおそれがあると判断することができる。
もっとも、原告が警察官によって連行され、暴行を受けた経験を有するといっても、短時間で帰宅を許され、さらには多額の金銭を提供してブローカーに依頼した結果によるとはいえ、本人名義の旅券の交付を受けられたことなどに照らすと、上記連行は、単なるいやがらせないし日常的な情報収集活動にすぎなかったとも考えられ、トルコの治安当局が原告をPKKの支援者であると確定的に認定し、その行方を追及していることについて疑問を挟む余地がある(前記のとおり,本件逮捕状等や本件住民登録票も、これらが偽造された可能性を否定できない以上,この疑問を解消するものとはいえない。)。
しかしながら、前記のとおり、治安当局による人権侵害状況は、かなり改善されつつあるとはいえ、本件の各処分時においても、PKKの支援者ないし同調者との疑いを抱かれた者や、政府に反抗的と考えられたクルド人に対する恣意的な身柄拘束、暴行、虐待などの行為が無くなったわけではないことに照らすと、トルコにおいてPKKに対する支援活動を行い、我が国でもそのことを公然と表明した以上、外国におけるPKK支援状況についても深い関心を抱いている治安当局によって人権侵害行為の標的となると考えることについて客観的な根拠を欠くと判断するのは相当でない。
(2)この点に関し、被告らは、人が政治的犯罪の故に訴追又は処罰の対象となっている場合には、訴追が「政治的意見」に向けられたものか又は政治的な動機による「行為」に向けられたものであるかを区別しなければならず、後者に対する処罰は、原則として各国の主権に委ねられるべき事項であって難民条約の対象とはならないところ、特にテロリズムは強い可罰性を有するから、原告がPKKに対する支援活動を行っていたことに対し、反テロリズム法が適用されて取締りの対象とされたとしても、難民条約上の迫害には当たらない旨主張する。
しかしながら、前記認定事実によれば、原告の行った行為は、クルド人の地位向上という政治的動機に基づき、分離独立の理念に共感したPKKに対して金銭等を提供したり、スローガンを記載したポスターをはったり、集会・デモ行進に参加したというにすぎず、原告自身が暴力行為を行ったとか、これに用いられる武器弾薬などの輸送を手伝ったといった、テロリズムに直接結び付く性質のものではないことが認められる。にもかかわらず、原告のこれらの行為に対して,反テロリズム法4条ないし8条が適用されることになれば、PKKへの支援行為についてはトルコ刑法169条で定める3年以上5年以下の重懲役刑の1.5倍の自由刑が、ポスターはりや集会,デモ行進への参加行為については、1年以上3年以下の懲役及び1億リラから3億リラまでの重罰金が科されるおそれがあるところ、予想されるこのような刑罰は,原告の行為の性質に照らすと、民主主義国家における刑罰と比較して、著しく重いと考えられる。加えて、トルコにおける治安活動の実態に照らせば、その訴追の過程において、適正手続が保障されないまま、暴行や拷問等の人権侵害行為が行われる可能性を否定することはできない。
そして、原告の行った上記の各行為が、難民条約1条F(b)の規定する「重大な犯罪」に該当するものでなく、同条Fの定めるその他の事由にも該当しないことは明らかであるから、原告に対する難民条約の適用が排除されるべきではない。
(3)したがって、原告については、人種又は政治的意見を理由として、逮捕、訴追され、上記のような重い刑罰を科され、あるいは、拷問等を受けたりするおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すると認められるから、原告は条約難民に該当すると判断するのが相当である。
そうすると、本件不認定処分は、その処分時において、原告の条約難民性についての判断を誤ったものというほかなく、違法な処分として取消しを免れない。
この事件を担当した弁護士は日本で最初の難民事件勝訴判決(名古屋地判1997年10月29日平成8年(行ウ)第5号アハマディア難民訴訟)を獲得した名嶋聰郎(あきお)弁護士と東京のクルド難民弁護団の大橋毅弁護士、判決を書いた合議体の裁判長は後に名古屋地方裁判所の所長になった加藤幸雄裁判官だった。
この判決は逮捕状は偽造の可能性があるとし、「トルコの治安当局が原告をPKKの支援者であると確定的に認定し、その行方を追及していることについて疑問を挟む余地がある」とした一方で、トルコの出身国情報を前提とすれば「トルコにおいてPKKに対する支援活動を行い、我が国でもそのことを公然と表明した以上、外国におけるPKK支援状況についても深い関心を抱いている治安当局によって人権侵害行為の標的となると考えることについて客観的な根拠を欠くと判断するのは相当でない」としている。
難民の定義は①在留外国人性(Alienage)、②迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖(Well-founded fear of being persecuted)、③5つの条約上の理由(Convention Grounds)である。このうち②については、多くの裁判例が「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというためには、当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要である」としている。この解釈は本件では争いのない事実である(3枚目)。
判決は、トルコの出身国情報を踏まえて、i)クルド人であること、ii)トルコでPKKに対する支援活動をしたこと、iii)我が国でPKK支援を公然と表明したことから、通常人が迫害の恐怖を抱くような客観的事情(迫害のリスク)が認められるとした。このうち、クルド人であることを客観的事情の要素とした記載は判決にはないが、条約上の理由を「人種または政治的意見」としていることから当然の前提と思われる。
これに対する反論には、i)クルド人であること、ii)トルコでPKKに対する支援活動をしたこと、iii)我が国でPKK支援を公然と表明したことのいずれかを、反証によって真偽不明に追い込むことや、当該3つが揃っても本件では迫害のリスクを否定できるような特段の事情(評価障害事実)を挙げることが考えられる。
この判決を受けて、入管はトルコに調査に行って、訴訟に勝って原告を送還するために逮捕状が偽物でないか確認をしたいと告げて、トルコ政府から逮捕状が偽物である旨のお墨付きをもらった。しかし、逮捕状が偽物であることは、i)クルド人であること、ii)トルコでPKKに対する支援活動をしたこと、iii)我が国でPKK支援を公然と表明したことのいずれに対する否認にもならない。また、これらの3つが揃っていても本件では迫害のリスクがないといえるような特段の事情にもあたらない。
国は迫害のリスクについて、「例えば、ある国において、ある宗徒の一部が逮捕、訴追されているとしても、その国の政府が当該宗徒そのものの存在は容認しており、一定の宗教的活動に対する刑罰規定も厳格に適用されているものではないなどの事情の下では、当該難民申請者について迫害を受けるおそれががあるというためには、同人が行った又は行ったとされる宗教上の行為が当該国籍国における犯罪行為に該当するとして現に訴追されているか、又は既に逮捕状が発付されているなどの事情からみて将来訴追されるおそれがあるなどの個別具体的事情が存することが必要である」と主張しているから、おそらく「逮捕状が発付されている」という事実がなければ迫害のリスクは十分でないとの立場である。しかし、この主張はミスリーディングである。国が例示したようなケースでは当該刑罰規定の具体的な適用状況に関する出身国情報を確認し、信者のうちどのようなカテゴリに該当すれば、通常人であれば迫害のおそれを抱くような迫害リスクがあると評価できるのかを検討する。当該刑罰規定を適用した例が絶えてなく死文化しているとの出身国情報が存在する場合に、自身に対する逮捕状の発付を示して当該出身国情報の誤りを糺すような場合があり得るとしても、実際に迫害を受けていることは要件ではないため、申請者に対する当該法令に基づく実際の訴追又は逮捕状の発付は必ずしも必要ない(難民該当性判断の手引、5頁参照)。法令が死文化している場合でも、当該法令の存在自体が非国家主体による差別と国家による不保護の理由になるため、法令の存在と非国家主体による迫害によってリスクを示すことができる。国は本件において逮捕状が出ていなければ迫害のリスクがあるとはいえないと評価すべき具体的理由を述べていない。この判決の迫害のリスク評価をひっくり返さなければ逮捕状の真偽を調査する意味は薄い。
また、入管はトルコに調査に行って、地域の人の多くが出稼ぎ目的で来日していることを調査した。しかし、地域の人の多くが出稼ぎ目的で来日していることは、i)クルド人であること、ii)トルコでPKKに対する支援活動をしたこと、iii)我が国でPKK支援を公然と表明したことのいずれに対する否認にもならない。また、これらの3つが揃っていても、迫害のリスクがないといえるような例外的な事情(評価障害事実)にもあたらない。この調査報告書は訴訟との関係で役に立たない。
調査対象者には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がマンデート難民に認定したクルド人も含まれていた(難民支援協会「クルド難民強制送還事件:国、国連、市民はどう動いたのか」)。入管当局は、調査の翌年の2005年1月18日に、UNHCRが難民に認定していたクルド人親子をトルコに送還した。UNHCRは難民条約に反する日本政府の暴挙に深い懸念を表明した。他方で、事件後しばらくしてマンデート難民の認定をやめてしまった。
日弁連には調査に対して人権救済の申立てがなされた。これを受けて、日弁連は法務大臣に警告書を送った。法務省職員は、トルコの政府に対し、原告を特定するための情報を提供し、日本で難民認定申請を行っていることを知らせ、しかも、トルコの警察・保安部隊関係者の同行のもとで原告の家族らから事情を聴取したというのだから、当然である。むしろ、この行為自体新たな迫害リスクを生む。
控訴審(名古屋高判2006年6月30日平成16(行コ)第16号)で被控訴人(原告)代理人らは入管の調査報告書の証拠能力を争って、証拠を却下を求めた。裁判所も、
本件調査中に、入国管理局職員が、被控訴人の氏名を秘匿することなしに本件逮捕状等の写しをトルコ政府関係者に呈示してその真否を確認し、また、被控訴人の氏名等を告げて同人に対する逮捕状等の発付の有無を確認したことが認められるところ、そもそも難民認定のための調査手続において、難民調査官は、難民認定申請者または関係者からの事情聴取に際し、聴取した事項に関する秘匿は保護される旨伝え、申請者らが了知しているあらゆる事項について秘匿することなく供述するよう促した上事情聴取を行っている(法務省入国管理局作成・難民認定事務取扱要領第2章第2節第2の4(2))のであるから、被控訴人が難民認定申請をしていることなどその供述内容を本国政府関係者に告げることは、この聴取の前提条件を破るもので難民認定申請者の難民行政に対する信頼を根本的に失わせるおそれがあるとともに、トルコにおいて人種または政治的意見を理由として逮捕等のおそれがあるとして難民認定申請をした被控訴人について、生命、身体の自由に対する危険を増大させ、あるいは、あらたに危険を発生させる可能性がある行為ということができる。
と入管の調査を激しく指弾した。
しかし、裁判所は本件調査によって危害が生じた場合は国賠請求その他の救済措置を別途考えるべきとし、調査報告書の証拠能力を認めた。そして、調査報告書を踏まえ、本件逮捕状は偽造と認定した。また、被控訴人(原告)の家族が現在もトルコに居住して普通の生活を営んでいることや、被控訴人の叔父であると説明した者が、過去に日本で難民申請しトルコに帰国していると認定した。控訴審は事実関係について調査報告書の信用性を認めた。
他方で、裁判所は被控訴人が逮捕状入手前に1回目の難民申請をしたことから、被控訴人の供述は本件逮捕状が偽造であったとしても直ちに整合性を欠くとはいえず、逮捕状が偽造であることで被控訴人の供述の信用性が失われるとはいえないとした。
また、「トルコにおいてはクルド人であること自体が人権侵害を被る理由となるものではないが、クルドの独自性を主張したり、PKKの主張に共感を示したクルド人については、個別に人権侵害を被るおそれがあるというものであり、人権侵害を受けるか否かは個々人の言動に左右されるところが大きい」として、叔父その他被控訴人の親族が人権侵害を受けていないとしても、そのことにより、被控訴人に人権侵害の危険のないことが明らかとはいうことができないとした。
そして、控訴を棄却して被控訴人を難民と認めた。判決は確定し、クルド人を難民と認める判決が確定した最初の事例となった。クルド人の難民不認定処分取消訴訟勝訴事例には東京地判2004年5月14日平成15年(行ウ)第2号があるが、こちらは難民不認定処分通知書の理由付記の不備を理由に処分が取り消された事案で、クルド人を難民と認める判決ではなかった。
しかし、高裁が難民と認めた被控訴人に対し、国は再度難民不認定処分をした。日本は2022年7月28日までトルコ出身者をひとりも難民認定していなかった。高等裁判所が難民だと認めた者まで不認定としていたのである。
以前も書いたように、UNHCRの2018年データによると、カナダは1661件のトルコ出身者の難民認定申請を処理し1485人を難民と認定(認定率89.4%)、米国は674件の申請を処理し502人を難民と認定(認定率74.5%)、英国は934件を処理し472人を難民を認定(認定率50.50%)などであるところ、日本は1010件を処理して難民と認定した者はゼロである(平野雄吾著「ルポ 入管――絶望の外国人収容施設」(筑摩書房、2020)、kindle2739-2755/3605)。日本で多くのクルド人が難民認定申請するのは、日本への入国が容易だからである。日本とトルコの間には査免協定が結ばれ、トルコのパスポート保有者はビザなしで日本に入国できる。査免協定が締結されている理由は日本とトルコが友好国であるからであるが、同じ理由でクルド人は日本で難民認定を受けることができない。トルコはイラン・イラク戦争の際にバクダッドに取り残された日本国民を自国民よりも優先して救出したほどの親日国で(秋月達郎「海の翼 トルコ軍艦エルトゥールル号救難秘録」(KADOKAWA、2011))、日本側もトルコに対して多くの外交的配慮を行なっている。そのひとつのあらわれがクルド人に対する難民不認定である。難民認定は事実の確認であって、裁量行為でないから、本来外交的配慮を働かせる余地はない。問題になって消してしまったが、かつて法務省の研修教材に次のような記載があった。
同じような客観的条件を具備する外国人AおよびBがあり、双方から難民認定の申請があった場合に、Aは我が国にとって友好的な国の国民であり、Bは非友好国の国民であるとすれば、我が国としては、Bの難民認定は比較的自由に行えるとしても、Aの難民認定にはやや慎重にならざるを得ないということがありえよう。こうした場合の現実的な対応としては、Aについては難民の要件に該当する事実を具備するとは認められないとして認定は拒否、Bについてはそうした事実があると認めて難民認定を行う、といった処理の仕方になってあらわれる可能性が否定できないように思われる。こう考えてみれば、難民の要件に該当する事実を具備すると認められるか否かは、それほど単純な事実のあてはめ行為というわけではなく、若干微妙な要素を伴った問題のようである。こうした問題点をふまえた上で、法務大臣の難民認定という行為は事実のあてはめ行為であって裁量行為ではない、との立場を把握しておくことが必要である。
法務総合研究所「研修教材 出入国管理及び難民認定法III」(法務総合研究所、1983)、28頁
この明らかに矛盾した歪んだ判断準則のため、本来は条約難民に該当するのに、日本政府の立場からは条約難民に該当しないと考えられている難民申請者が多数存在する。帰国すれば命の危険があるかれらは難民申請を繰り返して在留を続けざるをえない。こうしたことから、日本のクルド人には難民申請を繰り返して在留を続けている者が多い。迫害の危険を感じていない者は、申請を繰り返すことなく帰国しているはずである。
裁判に勝ったのに難民認定を受けることができなかったのはクルド人だけではない。名古屋高判2006年6月30日平成16年(行コ)第16号のクルド人第1審原告を皮切りに、同じことが繰り返された。東京高判2006年9月13日平成17年(行コ)第326号のアフガニスタン出身のハザラ人第1審原告、大阪地判2011年3月30日平成19年(行ウ)第146号のスリランカ出身のタミル人原告、名古屋高判2016年7月13日平成27年(行コ)第72号のネパール人第1審原告、名古屋高判2016年9月7日平成28年(行コ)第2号のネパール人第1審原告が、勝訴判決確定後に再び難民不認定処分を受けた。
声をあげたのは2011年に大阪で勝訴したタミル人原告である。もう1度訴訟を提起して、東京高判2018年12月5日平成30年(行コ)第228号で勝訴判決を得た。そして、裁判所が難民と認めた者に難民不認定処分をするには、国が終止条項(難民条約1条F(5))の要件充足を立証しなければならない旨の原則を打ち立てた。
2018年の東京高裁判決の恩恵を受けて、札幌高判2022年5月20日平成31年(行ウ)第6号に勝訴したクルド人第1審原告は、トルコ出身者として我が国ではじめて難民認定を受けた。
Yasuyuki NAGAI
Advogado japonês em Nagoya