民事第一審州裁判所訪問

サンパウロの民事第一審州裁判所Fórum João Mendes Júniorに行ってきた。実はこの裁判所には2014年8月にも見学に訪れたことがある。2014年に訪れたとき、ブラジルの裁判所はちょうど裁判記録を全面的に電子化したばかりだった。電子化の気配もない日本の裁判所事情に思いを馳せて感心していると、裁判官が突然「これで、もう弁護士に証拠を食べられちゃうことはないわよ。」と言い出した。弁護士が目の前で証拠を食べはじめ、なんとか出させようとしたけれども飲み込まれてしまったことがあるという話だった。裁判官は1人6000件もの事件を抱え、月に200件の新件が配点され、ほぼ同数の判決を書いている。あまりにも訴訟の件数が多いため、廊下に記録を積み上げて置かざるを得ず、その重みで裁判所の建物が傾きかけていたそうだ。日本の裁判官の場合、抱えている事件は1人200件ほどて、月に5件も判決を書けば多い方ではないだろうか。ブラジルの超絶多忙な裁判官を、判決起案を補佐する法学部を卒業した2名のスタッフと、記録管理を補佐する20名を超えるスタッフが支えていた。1人の裁判官に20名以上のスタッフがいるという環境は、日本の裁判官からすれば羨ましい限りだろう。

ところが今回久し振りに同じ裁判官の法廷を訪ねてみるとその状況は大きく変わっていた。裁判所の運営予算が厳しく、スタッフ数は減って、記録管理スタッフは1人の裁判官あたりわずか3名になってしまったそうだ。その3名を数名の高校生の研修員(estagiário)が手伝っている。研修員といっても勤務先を探すための機関に登録して仕事を探し、1日4時間働いて夜学に通っているとのことで、特に法律家を目指しているわけではないようだ。かつて多くのスタッフがいた記録室は人が減ってどこかガランとしていた。裁判官の数も減っていて、1人の裁判官が抱える事件数は1万2000件に及んでいるそうだ。今は月に300件の新件が配点され、ほぼ同数の判決を書かなければならない。スタッフの数が少なすぎて仕事が回せないため、各裁判官のスタッフを統合して大部屋で20名ほどのスタッフに数名の裁判官をサポートさせる新体制を組むための改装が上層階から随時行われているという話だった。改装が済んだ階も見せてもらったが、改装済みの階では裁判官室とは別に法廷が用意されている点が新鮮だった。改装済みの大部屋で多くの裁判所スタッフが電子化された記録の整理をしているところを見せてくれながら、裁判官は「たくさんのスタッフが働いているように見えるけど、彼らが8万件もの事件の記録を管理しなければならないとしたらどうですか」と言っていた。そして実際に彼らは8万件以上の係属中の事件を管理しているのだ。記録が電子化されたため、裁判官は家でも仕事がしやすくなったそうだ。以前は家で仕事をすむために記録を持ち帰り、車ごと強盗に盗まれて記録をなくした裁判官もいたそうだが、電子化された記録をオンラインで検討するのでその心配はない。スタッフが減って、事件数も増え、以前訪問した際には「田舎の裁判所は外で当事者に会うから嫌」と言っていたはずの裁判官が「最近そのまま田舎の裁判所にいればよかったかなと思っている」と言うようになったのが印象的だった。ブラジルの裁判所と日本の裁判所が違うのは、ブラジルでは自ら希望しない限り転勤がなく、裁判官の間での給与の差もほぼないことだ。上級審で判決が覆ったからといって出世に響くということもない。仕事の少ない田舎にいつまでも止まることができ、給料はほとんど変わらないのだ。

残念ながら今日は事件がなく、一般事件を含めて事件傍聴はできなかった。その代わりにずいぶんと長い間話を聞かせてくれた。そのうちのひとつに、離婚事件のような家事事件は専門部で扱っていて、非公開になっているという話があった。合議の様子をテレビで流したり、判決をユーチューブで流したりしているブラジルの裁判所は、家事事件を非公開にして離婚事件の傍聴を許さない。もうひとつ興味を持ったのは裁判官の任官要件である。現在ブラジルで弁護士になるためには法学部を卒業して弁護士試験を受ける必要がある。弁護士試験の合格率はほぼ10パーセントだが、ブラジルには非常に多くの法学部が存在し、試験も年に2回実施されているのでサンパウロだけで30万人、ブラジル全土では100万人の弁護士が存在する。以前は裁判官の任官は裁判官試験に合格することだったが、現在は弁護士としての3年の実務経験が要求されている。裁判官試験は毎回およそ2万人の弁護士が受験し、50数人の合格者が出るという程度で、合格率は1パーセントを切る。それでも3年の実務を経ると最優秀層は弁護士として裁判官以上の収入を得るようになるため、最優秀層が裁判官にならないなんてことが言われているようだ。

Yasuyuki Nagai
Advogado japonês em Nagoya